昭和40年10月19日 朝の御理解
今朝方、こんなお夢を頂きました。福岡の秋永先生がもう何か酒に酔っ払って、もう泥酔してるんですね、おれで私が襟がみひっつかまえてから、べんぷを弾きよる所です。「こういう大事な時になんちいうこつかと。お前げん息子はお前断食して修行しよるぞ」ち言うてから、だぁっとあのその一遍に酔いが覚めたという風にしてからというてからですね、直立不動してから、あの酔いが覚めたと言った様な感じ。
そして目が覚めたと丁度4時前、5時前20分でした。でから私共昨夜遅うございましたもんですから、おかげで今朝、御祈念に間に合ったごたることでしたけれども、今日はいよいよ小倉の80年の記念大祭でございますから。もうすぐバスが迎えにくるでしょう。ですから、今日は、御祈念も早く切り上げさせてもらったわけですけれども、そのお夢の中から私は、もう色々な事を感じさせて頂くのでございます。
親が、親が修行しよる分な、言うなら当たり前のような感じがする。親が子供のために。けれども「お前どんの子供が断食修行をしよるぞ」と子供が例えば、この、自分よりも身分の低いものというか、目下のものというか、子供というか、が親の為に例えば、親の為というわけじゃないでしょうけれども、その、自分の為、自分の為に一生懸命修行しよる、例えばなら、信者さんが一生懸命なられるのに。
例えば、どんなにその先生がぐうたらであってもです。「信者を見て見れ」と、「信者があれだけの修行をしよるじゃないか」とこう言われたら、信者に対してでもシャンとしなければおられないような、ものでいろいろ考えられる。今日の記念祭にもそれを感じることが出来るですね。私共がまあ、いうなら、まあどこの教会でもないですけれども、まあ、布教所または教会になりましてもです。
小倉のためにはどういうことになるでしょうかね。子供の孫に、例えば福岡が子です、久留米が孫です。善導寺がひ孫です。ここはいうならば、やしゃ孫です。やしゃ孫の私共がです、一生懸命ならせて頂いたらです、又、その孫にあたる人達でもです、子供にあたる人たちでもです、なにかこう、椛目ですらこんなにお参りしておるじゃないかと、と言った様な大きな声を頂くようになったらです。
全教、九州の道の上にもです、何かピリッとする様なものを感じさせれるくらいなです、信心の日頃の姿と言った様なものが、感じたのですけれどもね、今日はこれでご無礼致します。おかげを頂きまして有り難うございました。